THANK YOU

夜をあかして


先代から店を受け継ぎ、何十年ものれんを守ってきたアケミさんも80代。一見さんはお断り。4、5回行ってようやく顔を覚えてもらったときは嬉しかった。腰が痛むんよ〜と辛そうな声で夜遅くまで営業する姿に、長年通う常連さんは心の底から心配している様子。そしてその数ヶ月後にお休みの貼り紙。またしばらくして店の前を通りがかったとき、看板が取り外されていた。もうあのカウンター席に座ることもできないんだという、しんみりした気持ち。それと同時にほっとした気持ち。アケミさん、おいしいテールスープをありがとうございました。お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。

当たり前だけど「何を売るか」「何を企画するか」など、経営者の判断で店は成り立っていて、店は経営者のものだ。その一方、「街に在る」「街に開かれている」という意味では、個人店であっても、店はある種の公共性を持っている。そのように考えると、我が道を行く個性的な店も、その街の機能の一部であり、お客さんとその場所をカタチ作っていると言える。

多様な文化、価値観を提供することができる「本」そのものにも公共性は備わっていて、街にとって書店は欠かせない場所のひとつだと思う。しかし、この場で改めて言うまでもなく、利益率の低い書籍の売上は年々減り続け、流通コストは増える一方。そのしわ寄せは現場に及び、何かと暗い話題が多い。どの業界にも悩みはあると思うけれど、書店業界が抱える問題は険しい坂道というより断崖絶壁をよじ登っているようだ。

それでも、あえて個人で本屋の世界に飛び込む人は、強い想いを持っていて、さらに続けるための工夫や仕掛けをこらしている。それぞれの場所で、それぞれのスタイルで営まれるそんなインディペンデント書店は、勝手ながらどこか同志のように感じている。それは正統派な本屋ではないかもしれないけれど、時代に合わせた軽やかさは活き活きとしていて健康的だ。

一人ではじめた店ではあるけれど、それはもう、自分だけのものではない。そう思うと背筋が伸びる。ただ、それでもいつか店を閉める時が来る。それは弱気からではなく、最後のその瞬間までが個人店をやる意味だと思うからだ。幸い、まだ想像できないけれど、その時まで少しでも前へ進みたい。良い店にしていきたい。そのように思う5年目です。

2018-06-21 | Posted in THANK YOUComments Closed